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- 2010年10月 『ダウン症という知的障害児に恵まれて〜その1〜』
- 2000年5月13日 待望の長男・龍真に恵まれる。担当医から「心臓に小さな穴が開いています。2歳までに心臓の手術をしなくてはなりません。それと…ダウン症と言う名の先天的障害を持っています。」と話しにくそうに伝えられた。妻は気を失いそうになり私が支えた。(ダウン症とは、21番目の染色体が1本多く、世界中で約1000人に1人の割合で生まれています。原因は無く宝くじに当たるようなものです。特徴を簡単に説明すると、何もかもがとてもゆっくりと成長する。等)
「自分の子供に障害があるなんてきっと何かの間違えにちがいない。心配するな俺が何とかする。」と妻にその場しのぎのいい加減な言葉をかけた。私には現実が受け入れられなかったのです。約1年間は受け入れることが出来なかったのを覚えています。友人がお祝いに来てくれても心の中で、どう思われているのかが、気になっていた。
5歳までの間に、「心臓の手術」「停留睾丸右」「左右の耳」「停留睾丸左」4回の手術を行いました。全ての手術で私が泊り込みで付き添いました。1歳の時妻が大病を患い、息子を抱いたまま預けてくれる保育園を何軒も探し歩いたりしました。保育園の送り迎えはもちろん、仕事の合間に、さまざまな療育を受けたりと今振り返ると、怒濤のような日々であったように思います。人の見る目やこの先この子はどうなるのか等の悩みを、悩む余裕すらなく日々悪戦苦闘をしていました。
2歳のときに1歩だけ歩けるようになり、6歳のときにやっと一、二言の単語が出始めました。「とーたん」(父さん)「かーかー」(お母さん)等。健常児よりも時間はとてもたくさんかかりますが、龍真は少しずつゆっくりとゆっくりと成長をしていたのです。
いつしか私にとっての一番大切な大切な、特別な特別な宝物になっていたのです。